八重が刻んだ「足跡」。新島八重や会津藩を激動の渦に巻き込んだ戊辰戦争。その戦争について紹介します。

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戸ノ口原の戦い(会津若松市)

舞台は「白虎隊奮戦の地」戸ノ口原へ

戸ノ口原の戦い

現在周辺には、慰霊塔等や多くの戦死の碑が点在しています。

怒涛の勢いで十六橋に殺到した新政府軍。この橋は、戦略上非常に重要なポイントになっており、ここを抜かれれば会津若松の城下は無防備な状態となります。旧幕府軍は急いで橋の破壊を開始しましたが、石橋だった為に容易には破壊出来ませんでした。目前まで攻め込んだ敵に、短時間で橋を奪われてしまいます。

その頃、藩境の母成口が破られたという知らせを受け、予備軍だった白虎隊も集合を命じられていました。当時の会津藩主・松平容保のお供として滝沢村へ行く途中、戸ノ口原方面から応援を求められ、白虎隊は戸ノ口原に向かうことになります。

戸ノ口原の戦い

周辺には電柱などもなく、当時とほぼ変わりない風景が広がっています。

白虎隊も加えた旧幕府軍は、進入してきた新政府軍と激戦を繰り広げました。しかし、新政府軍が次々と戦力を増強する中、多くの兵が死傷した旧幕府軍は次々と退却します。白虎隊も、身も心も疲れ果てた状態で、ちりぢりになりながら、ただ一つの希望・鶴ヶ城を目指します。

このとき本体とはぐれた白虎士中二番隊の20名が、戸ノ口堰洞穴を抜けて飯盛山に辿り着き、城下を見下ろして鶴ヶ城が落ちたと錯覚します。そして集団自刃に・・・(精神:「飯盛山」参照)。戸ノ口原の戦いは白虎士中二番隊の最後の戦いとなったのです。

戸ノ口原の戦い

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