八重が刻んだ「足跡」。新島八重や会津藩を激動の渦に巻き込んだ戊辰戦争。その戦争について紹介します。

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大隣寺(二本松市)

時代に翻弄された純粋な若き魂 藩主らとともに眠る

二本松藩主・丹羽家歴代の菩提寺として建立された寺院。寛文7(1667)年あるいは延宝3年(1675)、現在の地に移築されました。大隣寺には、参道入り口左側に『少年隊副隊長二階堂衛守(えもり)、隊士岡山篤次郎戦死の地碑』、本堂に向って左手に『戦死群霊塔』『二本松少年隊供養塔』があります。

白河口の戦いで、二本松藩は白河へ多くの藩兵を応援に出していました。やむなく藩は兵力不足を補うため、数え年13、4歳の少年たちにまで(中には12歳の少年もいました)特例として出陣を認めました。この17歳以下の少年たちを称して、『二本松少年隊』と呼んでいます。ちなみに『二本松少年隊』と名付けられたのは50年も後のことで、当時はきちんとした呼称はありませんでした。

少年たちの多くは江戸留学から帰藩し西洋砲術を指南していた木村銃太郎の門下生でした。
隊長・木村銃太郎、副隊長・二階堂衛守のもと、大壇口へと出陣し、新政府軍と果敢に戦います。しかし戦いは大人と子どもの戦いのようなものであり、隊長が敵弾に倒れ、大壇口での激戦は2時間ほどで終焉を告げます。退却した少年たちも多くが傷つき、また命を落としました。今もこの少年たちの死を悼み冥福を祈る参詣者が、後を絶たず訪れています。

大隣寺

二本松藩主・丹羽氏の菩提寺、大隣寺。

大隣寺

参道入り口左側にある少年隊副隊長二階堂衛守、隊士岡山篤次郎戦死の地碑。

大隣寺

多くの戦死者を慰霊する戦死群霊塔と、その奥には二本松少年隊供養塔が。

大隣寺

お問い合わせ:二本松観光協会

TEL: 0243-55-5122

福島県観光交流局観光交流課
TEL.024-521-7398/FAX.024-521-7888