八重が刻んだ「足跡」。新島八重や会津藩を激動の渦に巻き込んだ戊辰戦争。その戦争について紹介します。

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飯沼貞吉

飯盛山の悲劇 唯一の生存者

飯沼 貞吉

晩年の貞吉。白虎隊について多くは語らなかったという。

嘉永7(1854)年、会津藩士である飯沼時衛一正の次男として生まれました。10歳で藩校日新館に入学。学業、武術ともに優れた成績でした。長身だったこともあり年齢を1歳偽って白虎隊に入隊したといわれています。

戊辰戦争では、決死の覚悟で戸ノ口原の戦いに参加するも敗走。飯盛山に至った白虎隊士と自刃を決意します。しかし、のどに脇差しを突き立てても死にきれず、救出され唯一の生存者となりました。

その後、電信技師となり日本の発展に貢献し、昭和6(1931)年、仙台にて永眠。墓は同市内の輪王寺にありますが、昭和32(1957)年、飯盛山にあるかつての仲間たちの墓から少し離れたところに墓碑が建てられました。そのお墓には貞吉の遺髪と歯が納められています。

飯沼貞吉

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