八重が刻んだ「足跡」。新島八重や会津藩を激動の渦に巻き込んだ戊辰戦争。その戦争について紹介します。

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亀ヶ城(猪苗代町)

長い歴史を見続けてきた 時代の証人

亀ヶ城

今も佇む城の名残。当時の面影を探してみてはいかがでしょうか。

磐梯山の南、猪苗代町中心部の小高い丘に築かれた城で、源頼朝の東北遠征で功績のあった佐原義連の孫、経連が鎌倉時代初期に築いたといわれています。長らく、猪苗代氏が居城としてきたことから、猪苗代城と呼ばれています。

江戸時代に入り一国一城令が発せられた後も、会津藩の重要拠点として例外的に存続が認められ、城代が置かれていました。「鶴ヶ城」に対する「亀ヶ城」とその名を変え、会津藩主松平家の墓地である土津神社を守る城でもありました。会津藩東の要として、八重や会津の人々は頼りに思っていたことでしょう。

亀ヶ城

藩士が必死で守った城跡。一歩一歩、想いが募ります。

しかし、慶応4(1868)年、戊辰戦争の際に新政府軍が旧幕府軍を破って会津領に侵攻。抵抗むなしく、時の城代と会津藩士たちは、城を焼き払って若松へ撤退せざるをえませんでした。建物は焼失してしまいましたが、石垣や土塁、虎口などが残っており、当時の姿を垣間見ることができます。

明治時代に町内の有志により桜が植樹され、その後、公園として整備されました。現在も春には大勢の花見客が訪れ、人々の目を楽しませています。

亀ヶ城

お問い合わせ:猪苗代観光協会

TEL: 0242-62-2048

福島県観光交流局観光交流課
TEL.024-521-7398/FAX.024-521-7888