八重が刻んだ「足跡」。新島八重や会津藩を激動の渦に巻き込んだ戊辰戦争。その戦争について紹介します。

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光明寺(会津若松市)

八重の父・権八が眠る寺

光明寺

会津若松市門田町一ノ堰にある寺院。ここには八重の父・権八の墓があります。権八は会津藩砲術指南役で元の名を永岡繁之助といいます。会津藩の砲術家・山本佐兵衛(山本平佐衛門か?)のひとり娘・佐久と結婚、山本家の婿養子となり、後に権八と改名しました。会津戦争が終わりに近づいた9月15~17日にかけて起こった「一ノ堰の戦い」。権八は、50歳以上の藩士で編成される玄武士中隊として出陣し、命を落としました。享年61歳。

光明寺

権八の墓

鶴ヶ城の南側に位置する一ノ堰は、城への食料補給路の確保をめぐって会津藩軍と新政府軍による激しい戦闘が繰り広げられた場所で多くの戦死者が出ました。光明寺には、この戦いで亡くなった会津藩士のお墓があります。中でも1300石取りの一之瀬要人は、越後方面の総督として各地を転戦。一ノ堰の戦いでは陣頭に立ちましたが、重傷を負って現在の市内大戸町で命を落としました。享年38歳。彼も、ここ光明寺に眠っています。ちなみに当時13人いた会津藩家老の中では、彼が、唯一の戦死者でした。

光明寺

〒965-0044 会津若松市門田町大字一ノ堰字村西500
TEL:0242-32-7850

福島県観光交流局観光交流課
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