八重が刻んだ「足跡」。新島八重や会津藩を激動の渦に巻き込んだ戊辰戦争。その戦争について紹介します。

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旧滝沢本陣(会津若松市)

白虎隊もここから出陣した、戊辰戦争時の会津藩大本営

旧滝沢本陣

鶴ヶ城から北東に約3km、若松城下から白河を通り江戸へと続く旧白河街道沿い、滝沢峠の入り口に旧滝沢本陣はあります。本陣は、延宝年間(1673-1680)に滝沢組11カ村の郷頭を務めていた旧家・横山家に設けられ、江戸おもてへの参勤交代や領内巡視、会津松平家藩祖・保科正之公を祀る土津神社への参拝時などに旅支度をするための休憩所として利用されていました。

茅葺の屋根におおわれた建物は約330年前に建てられ、御入御門、御座之間、御次之間、湯殿、厠などが残されています。東北地方の民家としては最古のものとされ、国の重要文化財に指定されています。そのほか、藩主が愛用した日常品や参勤交代の道具、古文書なども公開されています。 戊辰戦争の際、滝沢峠から戸ノ口原、猪苗代の十六橋は戦略上重要な場所でした。そのため藩主・松平容保は前線激励をふまえ、ここに陣を構えました。

しかし、母成峠での敗戦、十六橋が敵の手に落ちるなど会津藩の苦戦が続きます。慶応4(1868)年8月22日、容保はついに白虎隊の中でも最精鋭であった士中二番隊に前線の戸ノ口原へ出陣を命じました。しかし初陣であった彼らは戦いに敗れ、さらには飯盛山で自決してしまいます。 その後、勝利した新政府軍は、滝沢峠を越え城下に侵入。戦場となった滝沢本陣には今も砲弾や刀傷が10数ヶ所も残されていて、当時の戦いの激しさを感じることができます。

旧滝沢本陣

所在地

〒965-0003 福島県会津若松市一箕町滝沢122
TEL: 0242-22-8525

福島県観光交流局観光交流課
TEL.024-521-7398/FAX.024-521-7888