新島八重が貫いた「誇り」。戊辰戦争後、京都に移り住んだ新島八重。彼女の後半生を彩る様々な人々とのふれあいを中心に紹介します。

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同志社大学

八重の夫・新島襄が創立 構内には国の重要文化財が多数

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八重の夫である新島襄が、明治8(1875)年に創立した大学。教員は襄とアメリカ人宣教師J.D.デイヴィスの2人、生徒は8人の「同志社英学校」としてスタートを切ります。「志を同じくする者が集まって創る結社」という意味から「同志社」と名付けられました。
翌年、京都御所の北側、相国寺門前に木造2階建ての校舎2棟、食堂1棟を建設。これが今出川キャンパスのはじまりです(現在のキャンパスは今出川のほか、京田辺など複数に及ぶ)。

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同志社大学の象徴ともいえる「クラーク記念館」

正門を入るとすぐに、同志社教育のシンボルともいえる石碑「良心碑」が建っています。ほかにも構内には、ドイツ人R.ゼールが設計した「クラーク記念館」、同志社の初代図書館「有終館」、現存するプロテスタント教会としては日本最古のれんが造りである「礼拝堂(チャペル)」、イギリス人A.N.ハンセル設計の「ハリス理化学館」、現存する京都市内最古のれんが建築「彰栄館」が点在。いずれも国の重要文化財に指定されています。

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同志社の初代図書館「有終館」

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現存するプロテスタント教会日本最古のれんが造り建造物「礼拝堂(チャペル)」

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かつて屋上に天文台があった「ハリス理化学館」

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