新島八重が貫いた「誇り」。戊辰戦争後、京都に移り住んだ新島八重。彼女の後半生を彩る様々な人々とのふれあいを中心に紹介します。

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八重の後半生

新島八重

ハンサムウーマン・新島八重の生き方から学ぶもの

「ハンサムウーマン」と呼ばれた彼女の人生を振り返りながら、夢や目標を見失いがちな現代人に必要なことを考えていきたい。

会津の女は強い!!

自らの行動と意志を貫き 「鹿鳴館(ろくめいかん)の貴婦人」に。

襄との結婚

明治9年

「私のライフは、襄のライフ」深い絆で結ばれていた八重と襄。八重はプロテスタントとしては京都で初めて洗礼を受け、翌日宣教師・デイヴィスの司式で結婚式を挙げました。

従軍看護の道

明治26年~

襄を亡くした後、ほかに何か社会に貢献できないかを考えた八重は、看護の道へと進みます。日清・日露戦争に従軍し、勲章を授けられました。

茶道の道

明治27年~

襄が亡くなった後は、圓能斎直門の茶道家として茶道教授の資格を取得。「新島宗竹」として、京都に女性向けの茶道教室を開いて自活。裏千家流を広めることに貢献しました。

八重と関わり、影響を与えた人々

  • J.D.デイヴィス

    新島襄の「右腕」的存在であり 八重とのつながりも深い宣教師

  • M.L.ゴードン

    アンドーヴァー神学校の卒業生 八重と襄の初対面は彼の家

  • 不破ゆう(勇)

    襄を献身的に看護し 最期をみとった看護婦

  • 槙村正直

    京都を立て直すため 多彩な施策を展開

  • 瓜生岩子

    人々のために一生を捧げた“日本のナイチンゲール”

  • 熊本バンド

    八重を「鵺(ぬえ)」と酷評した 若きエリートの集団

  • 弁慶号

    同志社大学のキャラクターにもなっている 襄が飼っていたビーグル犬

八重と関わりの深い地

  • 同志社大学

    八重の夫・新島襄が創立 構内には国の重要文化財が多数

  • 栄光館

    八重の葬儀も行われた歴史的れんが建築物

  • 彰栄館

    同志社教育のシンボル 襄直筆の文字を刻んだ碑

  • 良心碑

    京都を立て直すため 多彩な施策を展開

  • 建仁寺

    京都最古の禅寺

  • 新島襄の墓碑

    同志社ゆかりの人たちが眠る 同志社人にとっての聖地

  • 同志社墓地

    同志社ゆかりの人たちが眠る 同志社人にとっての聖地

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