新島八重が貫いた「誇り」。戊辰戦争後、京都に移り住んだ新島八重。彼女の後半生を彩る様々な人々とのふれあいを中心に紹介します。

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不破ゆう(勇)

襄を献身的に看護し 最期をみとった看護婦

新島襄臨終図

新島襄(中央)に寄り添い看病するゆう(左奥)と足元に座る八重(右手前)「新島襄臨終図」

同志社を大学にするための募金活動中、襄は群馬県前橋で倒れます。その際、彼の看護をし、さらに彼が亡くなった神奈川県大磯でも、ターミナル・ケア(終末期看護)を行った看護婦。彼女は、同志社系の看護学校(京都看病婦学校)の第2回卒業生でした。また、襄が創立した同志社英学校の第1回卒業生だった前橋教会の牧師・不破唯次郎(ただじろう)の妻でした。

前橋と大磯で、襄への献身的な看護を行ったゆう。そのお礼として、彼女は襄から手料理を振舞われていました。また病床の襄は、自身の結婚観についても彼女に話していたといいます。

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