新島八重が貫いた「誇り」。戊辰戦争後、京都に移り住んだ新島八重。彼女の後半生を彩る様々な人々とのふれあいを中心に紹介します。

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熊本バンド

八重を「鵺(ぬえ)」と酷評した 若きエリートの集団

熊本バンド

写真提供/同志社大学

日本の明治期における、プロテスタント派の3つの源流の一つ。熊本洋学校で学んでいた彼らは、学校の閉鎖に伴い同志社英学校へ転校。熊本県人気質が強かったこと、熊本洋学校でアメリカ人教師の影響によりキリスト教に入信していたこと、すでに一般教育課程を英語で修めていたため成績がよく、教師さえも軽んじる生徒もいたことから、同志社英学校では「特異」な存在とされていました。

八重に対しても、花飾りのある帽子を被り、和服に靴を履いたり、夫の襄と対等の立場で接する様子を見て、「頭と足は西洋、胴体は日本という鵺のような女性がいる」と強く非難しています。しかし「熊本バンド」は、初期の同志社英学校の運営に大きく貢献し、牧師や教師、役人や政治家など、日本に影響を与える人物を多数輩出しました。

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