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優れた伝統技法を活かした美しさが魅力の会津漆器。その起源は古く、今から400年ほど前に、蒲生氏郷が産業として奨励したことが、その始まりだといわれています。氏郷は、前任地であった日野(現在の滋賀県)から木地師(きじし)や塗師といった職人衆を呼び寄せ、漆器の技術を伝授させました。その後の会津藩主らも、原料となる漆の木の保護や育成、技術革新などに取り組みました。また江戸に会津の物産会所を設けたり、長崎から中国やオランダに輸出したりするなど、販売にも積極的に力を入れていきました。幕末には、戊辰戦争が原因で存続が危ぶまれることもありましたが、明治政府の援助もあり、明治中期には再び会津を代表する伝統工芸品となりました。
漆器作りは分業制が基本。まず、木地師が製材された原木から、ろくろやかんなを用いて漆器の形を整えます。次に塗師が漆を塗っては研ぎを繰り返して、しっとりとした気品のある艶を出していきます。最後に蒔絵を行う蒔絵師、図柄を彫り金を埋め込む沈金師(ちんきんし)、美しい模様の漆絵を描く筆絵師というそれぞれの職人が、伝統技巧を凝らして、会津漆器の特徴である温もりと落ち着きのある光沢を生み出します。
現在は食器だけでなく、宗教用具や装飾品や文具など、さまざまな製品が作られるようになりました。また日用品としてはもちろん、芸術品としても高く評価されていて、2010年からは会津若松市・喜多方市の店舗や空き店舗、空き蔵などに、100点ものアート作品を展示する「会津・漆の芸術祭」が開催されています。また、シールラリーなどのイベントも行われて、開催期間中は多くの観光客でにぎわいます。
蒲生氏郷の時代から多くの職人によって受け継がれてきた会津漆器。八重が会津で暮らしていた幕末にも、各家庭で会津漆器が使われていました。こづゆやにしんの山椒漬けといった会津の郷土料を盛り付ければ、八重が暮らしていた当時の雰囲気を楽しむことができるでしょう。