八重が生まれた「時代」。新島八重が過ごした幕末〜明治の面影を今に伝える、様々な名跡が福島には残っています。

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コラム:幕末~明治時代にかけての「会津の食」

時を越えて 口にする“しあわせ” 八重も食した会津の味に 思いを馳せる

会津の食:写真1

文政10(1827)年の会津武家の食事(再現)。

外食の際、頭を悩ませること。それはメニューの多さ。ファミレスに行こうが、小洒落たメシ屋に行こうが、それは全国共通ならぬ“全店共通”。結局絞りきれず、無難に『日替わりメニュー』を選んでいる優柔不断な自分に、嫌気がさしたりもする。そんな時、こんな思いが頭を過ぎった。男まさりな新島八重は、メニュー選びでも“らしさ”を発揮していたのだろうか・・・?

八重が会津で暮らしていた当時は、現在のように「何を食べよう?」と悩むほど食事のメニューはなく、ほぼ毎日同じようなものを食べていたという。

スタイルは“一汁三菜”が基本。白米の「ごはん」をベースに、自家製みそを使った「みそ汁」、しみ豆腐・だいこん・さといもなどが入った「煮物」、きくらげとくるみなどの「おひたし」、きゅうりやなす、だいこんの「漬物」といった具合だ。 ほかにも冠婚葬祭には欠かせない『こづゆ』や冬の味覚『棒たら』など、現在でもなじみのある料理も食されていた。特に、会津人のソウルフードとも呼べる『にしんの山椒漬け』は、日常的に食べられていたほどだ。

会津小菊南瓜

会津小菊南瓜

また食材(野菜)のほとんどが『会津伝統野菜』という地物であった。古くから会津地方で食べられてきた野菜で、現在市販されているものと比べて、豊かな甘味・苦味・香りが魅力。野菜が本来持っている“味”と“懐かしさ”を持ち合わせている。中でも『会津小菊南瓜(こぎくかぼちゃ)』は、もっともポピュラーな野菜のひとつ。冬至かぼちゃやみそ汁の具として、会津藩士はもちろん、会津人の腹を満たしてきた。

八重も加わったことで知られる鶴ヶ城での籠城戦の際には『かぼちゃと大豆のみそ煮』が籠城食として、玄米おにぎりなどと一緒に、城内の人々へ提供されていたという。余談ではあるが、このかぼちゃ、皮が非常に硬く長期保存ができる。人も野菜も、愛されるにはきちんとした理由があるものだ。

約170年もの時を超え、八重も食したであろう料理を今、口にできるしあわせ。何だかグッと八重に近づけたような気がする。

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