八重が生まれた「時代」。新島八重が過ごした幕末〜明治の面影を今に伝える、様々な名跡が福島には残っています。

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向羽黒山(むかいはぐろやま)城跡(会津美里町)

東北地方最大級の山城跡 天然の要害は大名たちの最後の砦

敷地は、広い範囲で国の史跡に指定されています。会津美里町指定文化財にも。

白鳳三山の最高峰・岩崎山は別名を向羽黒山といいます。蘆名盛氏(あしなもりうじ)が黒川城(後の鶴ヶ城)を居城としながらも、本格的な山城としてこの城を築きました。蘆名氏滅亡後も伊達氏、蒲生氏、上杉氏の攻撃的城として機能が続きましたが、1601(慶長6)年、関ヶ原の戦いでの上杉軍の敗戦に伴い、廃城。曲輪・虎口・土塁・切堀・石垣など中世城郭を知る遺構が極めて良好な状況で残っています。2001(平成13)年、国の史跡に指定されました。

白鳳山公園の一部が、向羽黒山城跡とされています。白鳳山公園の記事も併せてご覧ください。

蘆名盛氏は、経済政策・軍事政策を打ち出し、蘆名氏の全盛期を築きあげた人物です。もちろん、会津の人々もこの偉大な領主の影響を大いに受けました。八重が生まれた頃には既に廃城になっていましたが、これだけの規模の城跡ですから八重もこの歴史を伝え聞いたのではないでしょうか。

向羽黒山(むかいはぐろやま)城跡の場所

お問い合わせ:会津美里町観光協会

福島県大沼郡会津美里町字船場
TEL:0242-56-4882

福島県観光交流局観光交流課
TEL.024-521-7398/FAX.024-521-7888