HOME » ふくしまと八重 八重が生まれた「時代」 » 神指(こうざし)城跡
この城跡は八重の生まれ育った会津若松市にあります。歴史は江戸時代より前に遡るほど古いので、八重もこの史跡について知っていたかもしれません。
時は戦国時代。豊臣秀吉が亡くなると、家康と旧豊臣方の対立(関ヶ原の戦い)が生じました。秀吉により会津120万石という恩恵を得た上杉景勝は、もちろん旧豊臣方につき、戦いに備えて新城を築く計画を立てます。なぜなら鶴ヶ城は山に近く、町割もできていて拡張が難しいため。こうして、神指ヶ原への建設を家老・直江兼続に命じます。
兼続は神指ヶ原の13村を強制的に移住させ、城郭の割り出しを開始しました。しかし、徳川家康の会津征伐により工事は中断。関ヶ原の戦いは家康の大勝利で、景勝は戦わないまま降参し米沢30万石へと移されました。
未完の城のため、ここにはわずかな紹介しかありません。まさに、見る人の想像力に委ねる城跡といえます。
お問い合わせ:会津若松観光物産協会
福島県会津若松市神指町大字高瀬500番地
TEL:0242-24-3000