HOME » ふくしまと八重 八重が学んだ「精神」 » 飯盛山
飯盛山は、会津若松市のすぐ東側にある小高い山。鶴ヶ城や江戸時代から続く由緒ある会津若松の中心市街を見下ろせる位置にあります。読みは「いいもりやま」ですが、この山が飯を盛ったような形であることが、名前の由来といわれています。
戊辰戦争の際に、会津藩では藩士子弟の少年達で白虎隊という部隊を結成。その中の士中二番隊が、戸ノ口原の戦いから撤退する際に飯盛山に逃れました。そして、鶴ヶ城周辺の武家屋敷等が燃えているのを落城と錯覚。茫然自失状態に陥った彼らが、集団自刃に及んだ地です。
八重自身が書き残している文献を読むと、少女時代の興味が女らしさとは無縁の鉄砲や砲術であったことがわかります。白虎隊の中には八重が砲術を指南した少年、伊東悌次郎がいます。隣家に住んでいた彼は小銃を習いによく来て、八重は物置からゲーベル銃を出して親身に教えました。外の白虎隊士も数名、鉄砲を習いに来たそうです。悌次郎は15歳のため白虎隊に編入されないはずでしたが、年齢を偽って入隊し、この地で仲間と共に命を絶ちました。八重がこの出来事を知った時のことを想像すると胸が締め付けられます。弟のようにかわいがっていた少年の死に、深く心を痛めたことでしょう。
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