八重が学んだ「精神」。新島八重の人生・哲学を育んだ、福島の地。その精神を今に伝える名跡・文物・歴史を紹介します。

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会津家訓(かきん)15カ条

徳川家への忠誠を誓った会津藩の憲法

会津家訓15カ条

会津若松市所蔵

寛文8(1668)年、会津藩初代藩主・保科正之は、会津藩の憲法ともいえるこの家訓を制定しました。「会津風土記」を書いた家老・友松氏興が建言し、正之と朱子学者・山崎闇斎と共同で作成したのではないかといわれています。この家訓は以後200年にわたり、会津藩の精神的支柱として存在しました。

正之は兄弟である3代将軍・徳川家光に引き立てられ大大名に出世、徳川家に恩義を感じていました。家光が亡くなると、まだ幼かった4代将軍・徳川家綱の後見役を務め幕府を支えます。家訓の第1条は、「徳川家に忠勤、忠義を尽くさなければならない」という正之の気持ちが書かれていて、将軍家へ後世の子孫まで絶対的な忠誠を誓わせています。

その後、9代藩主・松平容保は、越前の松平春嶽や一橋慶喜らに、京都守護職への就任を要請されます。第1条の内容を引き出された容保は要請を承諾するしかなく、後に戊辰戦争の悲劇へとつながったといわれています。

全15カ条からなるこの家訓は、会津藩政の基本的な方向を示すものとして制定され、幕府にその忠誠を尽くすその姿は、武士社会の鑑として、全国にその名を轟かせました。時代によって異なりますが、家訓は、1月11日の御用始、8月1日の八朔、12月18日の御用納めの年3回、城中において家臣一同で拝聴する慣わしとなっていました。

「会津家訓15カ条」
一、大君の儀、一心大切に忠勤を存すべく、列国の例を以て自ら処るべからず。若し二心を懐かば、則ち我が子孫に非ず、面々決して従うべからず。
一、武備は怠るべからず。士を選ぶを本とすべし。 上下の分、乱るべからず。
一、兄を敬い、弟を愛すべし。
一、婦人女子の言、一切聞くべからず。
一、主を重んじ、法を畏るべし。
一、家中は風義を励むべし。
一、賄を行い、媚を求むべからず。
一、面々、依怙贔屓すべからず。
一、士を選ぶに便辟便侫の者を取るべからず。
一、賞罰は家老の外、これに参加すべからず。若し出位の者あらば、これを厳格にすべし。
一、近侍の者をして、人の善悪を告げしむべからず。
一、政事は利害を以って道理を枉ぐべからず。僉議は私意を挟みて人言を拒むべらず。思う所を蔵せず、以てこれを争そうべし。甚だ相争うと雖も我意を介すべからず。
一、法を犯す者は宥すべからず。
一、社倉は民のためにこれを置き、永く利せんとするものなり。 歳餓うれば則ち発出してこれを済うべし。これを他用すべからず。
一、若し志を失い、遊楽を好み、馳奢を致し、土民をしてその所を失わしめば、則ち何の面目あって封印を戴き、土地を領せんや。必ず上表して蟄居すべし。

  右十五件の旨 堅くこれを相守り以往もって同職の者に申し伝うべきものなり
  寛文八年戊申四月十一日 会津中将 
                   家老中

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