八重が学んだ「精神」。新島八重の人生・哲学を育んだ、福島の地。その精神を今に伝える名跡・文物・歴史を紹介します。

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御薬園(会津若松市)

会津の薬学の中心にして、歴代の藩主が愛した庭園

御薬園

新緑、紅葉、雪景色。時期を変えて何度も足を運びたい場所です。

室町時代に霊泉の湧きだしたこの地に、永享4(1432)年、蘆名盛久が別荘を建てたのがはじまりといわれています。中央の心字の池を配した回遊式の借景園と、各種薬草を栽培する薬草園で構成されています。

御薬園と呼ばれるようになったのは、三代目藩主松平正容公の時代。朝鮮人参の試植に成功し、栽培を広く藩民に奨励したことから名づけられました。その後、御薬園が中心となって普及させた会津藩の朝鮮人参(会津和人参とも呼ばれます)は、日本で初めて、清国に輸出されるほどになりました。また、御薬園は様々な薬草の栽培・薬効研究も行い、会津薬学の中心ともいえる存在でした。

御薬園

御薬園でしか味わえない秘伝の薬草茶は、日ごろの疲れを癒してくれるリフレッシュ作用があるといわれています。

戊辰戦争時は新政府軍の傷病者の診療所とされたため、園内の楽寿亭や御茶屋御殿の建物は戦火を免れました。ですが、戊辰戦争後、御薬園は新政府軍に没収されてしまいます。それを憂いた豪商・長尾和俊は会津一円に募金を呼びかけます。この募金によって買い戻された御薬園は、松平容保(戊辰戦争時の会津藩主)に献上されました。
戊辰戦争によって打ちひしがれた会津の人々にとって、会津藩主とその御薬園が、心の大きな拠り所だったことをうかがわれるエピソードですね。

その後、昭和7(1932)年に徳川時代の代表的な大名型山水庭園として国の名勝に指定。園内は泉石・灯籠・樹木が巧みに配してあり、庭園の風情を深めています。また、庭園北側には藩政時代の薬草栽培地跡を利用した薬用植物標本園があり、現在でも会津産薬草約200種を含め約400種の薬草が栽培されています。

御薬園に関して

お問い合わせ

財団法人 会津若松市観光公社
TEL:0242-27-4005

福島県観光交流局観光交流課
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