HOME » ふくしまと八重 八重が学んだ「精神」 » 伊佐須美神社
四道将軍の父子がそれぞれの道をたどり東北道各地を平定した後、この地で出会ったことから「会津」という地名になったと伝えられています。その時、国土開拓の神様であるイザナギノミコト、イザナミノミコトの二神を新潟県境の御神楽岳に奉斎したことが、伊佐須美神社の名前の由来。博士山、明神ヶ岳を経て高田南原の地に遷御し、さらに後、現在の宮地、東原に御神殿を造営しました。
名神大社・岩代の国一ノ宮会津総鎮守の格式をもち、国重要文化財「朱漆金銅装神輿」や県重要文化財「木造狛犬一対」を保管。産業文化、延寿縁結び、交通安全などの守護として県内外の人々の深い崇敬を集めています。
境内にある薄墨桜は、御神木であり「会津五桜」のひとつ。花が薄墨色から赤に変化し、淡紅色の中心に薄墨を含んだ色合いから命名されたといわれています。花は高貴な香りを放ち、一枝に一重と八重が混じり早咲き遅咲きもある珍しい桜。植物学上からも貴重な銘木です。
そして、その傍らには、幕末の会津藩主松平容保の歌碑があります。この歌では、薄墨桜の人々の心にうったえかける香りの素晴らしさが称されています。
世の人の心や深く染めぬらん うすずみ桜あかね色香に